44名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:42:53ID:QZq
12月14日
最期

空が白むのを待ち対岸を調査した一行は、そこにヒグマの足跡と血痕を見つけた。
銃弾を受けていれば動きが鈍るはずと、急いで討伐隊を差し向ける決定が下された。
一行の他に、10日の深夜に話を聞きつけて三毛別に入った山本兵吉(当時57歳)という熊撃ちがいた。
鬼鹿村温根に住む兵吉は、若い頃に鯖裂き包丁一本でヒグマを倒し「サバサキの兄(あにい)」と異名を持つ人物で、軍帽と日露戦争の戦利品であるロシア製ライフルを手に数多くの獲物を仕留めた、天塩国でも評判が高いマタギだった。
彼が11月に起こった池田家の熊の出没さえ知っていたなら、9日の悲劇も10日の惨劇も起こらなかったものと、だれもが悔しがった。
孫によれば、(兵吉は)時に飲むと荒くなることもあるが、いたって面倒見もよく、優しい面を持ち合わせていたという。

兵吉は討伐隊と別れ、単独で山に入った。
ヒグマは頂上付近でミズナラの木につかまり体を休めていた。
その意識はふもとを登る討伐隊に向けられ、兵吉の存在には全く気づいていない。
音をたてぬように20mほどにじり寄った兵吉は、ハルニレの樹に一旦身を隠し、銃を構えた。
銃声が響き、一発目の弾はヒグマの心臓近くを撃ちぬいた。
しかしヒグマは怯むことなく立ち上がって兵吉を睨みつけた。
兵吉は即座に次の弾を込め、素早く放たれた二発目は頭部を正確に射抜いた。
12月14日午前10時、轟いた銃声に急ぎ駆けつけた討伐隊が見たものは、村を恐怖の底に叩き落したヒグマの屠られた姿だった。
45名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:44:02ID:QZq
熊風

ヒグマは金毛を交えた黒褐色の雄で、重さ340kg、身の丈2.7mにも及び、胸間から背中にかけて「袈裟懸け」といわれる弓状の白斑を交えた大物であった。
推定7 - 8歳と見られ、頭部の金毛は針のように固く、体に比べ頭部が異常に大きかった。
これほど特徴のある熊を誰も見たことがないという。
隊員たちは怒りや恨みを爆発させ、棒で殴る者、蹴りつけ踏みつける者など様々だった。
やがて誰ともなく万歳を叫びだし、討伐隊200人の声がこだました。
終わってみると12日からの三日間で投入された討伐隊員はのべ600人、アイヌ犬10頭以上、導入された鉄砲は60丁にのぼる未曾有の討伐劇であった。

ヒグマの死骸は人々が引きずって農道まで下ろされ、馬ぞりに積まれた。
しかし馬が暴れて言うことを聞かず、仕方なく大人数でそりを引き始めた。
すると、にわかに空が曇り雪が降り始めた。事件発生からこの三日間は晴天が続いていたのだが、雪は激しい吹雪に変わりそりを引く一行を激しく打った。
言い伝えによればクマを殺すと空が荒れるという。
この天候急変を、村人たちは「熊風」と呼んで語り継いだ。
46名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:45:41ID:S9g
グロい…
51名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:46:46ID:QZq
解剖
猛吹雪に、5kmの下り道を1時間半かけてヒグマの死骸は三毛別青年会館に運ばれた。
雨竜郡から来たアイヌの夫婦は、「このヒグマは数日前に雨竜で女を食害した獣だ」と語り、証拠に腹から赤い肌着の切れ端が出ると言った。
あるマタギは、「旭川でやはり女を食ったヒグマならば、肉色の脚絆が見つかる」と言った。
山本兵吉は、「このヒグマが天塩で飯場の女を食い殺し、三人のマタギに追われていた奴に違いない」と述べた。
解剖が始まり胃を開くと、中から赤い布、肉色の脚絆、そして阿部マユが着用していたぶどう色の脚絆が、絡んだ頭髪とともに見つかり、皆は悲しみを新たにした。
犠牲者の供養のため肉は煮て食べられたが、硬くて筋が多く、味は良くなかったという。
皮は板貼りされて乾燥させるため長い間さらされた。
その後肝などとともに50円で売却され、この金は討伐隊から被害者に贈られた。
毛皮や頭蓋骨は消息不明である。
52名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:46:58ID:21W
そろそろ本気的に熊を駆除していかなあかんやろ、可哀想云々の問題やなくて
53名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:47:19ID:IJJ
普段から鉄砲の手入れが行き届いていればあるいは違った展開が…?
54名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:48:26ID:QZq
その後

頭部に傷を負いながらも気丈な姿を見せたヤヨは順調に回復したが、背負われたまま噛みつかれた明景梅吉は、後遺症に苦しみつつ2年8ヶ月後に死亡した。
この少年を含め事件の死者を8人とすることもある。
同じ家でヒグマの襲撃から生還した明景勇次郎は、事件の27年後に太平洋戦争で戦死した。
長松要吉も回復し翌春には仕事に戻ったが、川に転落して死亡した。
ヒグマに受けた傷が影響したのかは定かではない。

事件は解決しても、村人に心理的恐怖を残した。
村外を頼れる者は早々に六線沢を去ったが、多くはそのようなつてを持っていなかった。
壊された家屋を修理し、荒らされた夜具や衣類の代わりに火に当たりながら、なんとか越冬した。
しかし春になっても村人は気力を取り戻せず、家族を亡くした太田三郎は家を焼き払って羽幌へ去り、その後生まれ育った青森に移ったというが早くして死去したしたという。
六線沢は、ひとりまたひとりと村を去り、下流の辻家を除いて最終的に集落は無人の地に帰した。

ヒグマを仕留めた山本兵吉はその後もマタギとして山野を駆け回り、1950年に92歳で亡くなった。
彼の孫によると、生涯で倒したヒグマは300頭を超えるという。

区長の大川与三吉の息子・大川 春義(当時7歳)は、その後名うてのヒグマ撃ちとなった。
これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えたところで引退し、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を三渓(旧三毛別)の三渓神社に建立した。
また春義の息子・高義も同じくハンターとなり、1980年には、父・春義も追跡していた体重500kgという大ヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の末に仕留めている。
さらにその5年後には、他のハンターと2人で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めている。
55名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:50:08ID:QZq
以上、道民のワイがヒグマの怖さをウィキペディアからコピペしたで。

なお九州ではサメの食害もあるらしいなあ。

天草遊泳中女子中学生サメ襲撃死亡事故
1982年8月29日午後1時40分頃、熊本県天草郡大矢野町串の沖に浮かぶ
羽干島近くの海で、熊本市の会社員Aさんi一家がヨットで楽しんでいた。
長女B子さん(13)と弟2人が泳ぎたいと言い出したので救命胴衣を着せ、
ヨットの船尾に結んだロープとつないでヨットを走らせながら引っ張っていた。
30分程たった頃、B子さんが「お父さん、引っ張って…」と声を上げた直後、一瞬のうち海中に沈んだ。
Aさんがすぐ救い上げたが、B子さんは腹部を食いちぎられ、即死状態だった。
B子さんは胸の下半分から下腹部にかけて 鋭利な刃物で切り取られたようになっており、
内蔵はほとんどない状態だった。 歯型の跡も残っていた。
B子さんは扇形に泳いでいた3人の真ん中にいたうえ、
弟たちより1メートルほど長いロープを付けていたという。
56名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:51:05ID:IJJ
1980年代に入ってからも化け物クラスの熊が出ているだと…
60名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:53:15ID:z0l
若手の猟師を育てなきゃ
61名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:53:35ID:QZq
あと有名な事件では
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」
があるが、あれは子供の雌グマがワンゲル部員と遊ぼうとして3人殺した事件だから入れなかった。
食われてはいないからね。
67名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)04:58:12ID:S9g
>>61
調べたらたまげた。
今で言えばTwitterで熊に襲われる実況しながら死んだようなものやな。

確かロシアで母親に電話で別れを言いながら熊に食われた女の子の話もあったような…
70名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)05:02:06ID:QZq
>>67
熊に食べられる自分を実況した少女

2011年8月13日、オルガ・モスカヨワ(19)は、継父のイゴール・チガネンコフさんと一緒にキャンプ旅行に来ていた。
正午頃、川原でイゴールさんが休んでいると、突然、背の高く生い茂った葦の中から巨大なヒグマが襲いかかって来た。
イゴールさんは抵抗する間もなく一撃で首の骨を折られ、さらに頭骨を圧し割られ死亡。

その継父が殺される様子を近くの葦の奥で目撃したオルガさんは、直ぐにその場から逃げる事を試みたが、彼女の存在に気付いたヒグマの反応は素早かった。
70ヤード程逃げた地点で、彼女は足を攻撃され身動きが取れなくなった。
そしてヒグマは彼女の体を下半身から生きたまま喰い始めた。

その絶望的な状況下で、彼女は手持ちの携帯電話で母親のタティアナさんに助けを求める電話を掛けている。
71名無しさん@おーぷん2016/07/09(土)05:03:13ID:QZq
タティアナさんが電話にでると、
『 ママ!! クマが私を食べている! ひどく痛い! たすけて!!』
という娘のオルガさんの声が聞こえ、当初、いつもの娘の悪いジョークだと思ったものの、近くで獣の息遣いと何かを食べる粗食音が聞こえた為に現実を理解し、
動転しながらも夫のイゴールさんの携帯電話に掛けたが、イゴールさんは既にヒグマに殺害されているので、当然、電話に出る事はなかった。

タティアナさんは夫が電話に出ないので、直ぐにキャンプ地近くのTermalniy村の警察に通報、その通報する最中、オルガさんからタティアナさんに二度目の電話が掛かってきた。
『 ママ・・・、クマが戻ってきた・・・・3頭のコグマを連れてきて・・彼らが私を食べているわ・・・』
と弱々しい声で語り、電話が途切れてしまった。

タティアナさんは警察に事情を伝え救援を急ぐ様に要請し、夫の親族にも様子を見に行って欲しい旨を連絡。それから数分後に、再度、オルガさんからの三度目の着信を知らせる音が鳴り響く。
『ママ・・もう噛まれていないわ・・。 痛みも感じなくなったわ・・・・今までごめんなさい。 凄く愛してる。』
と自身の死を悟ったかの様な電話内容であり、また、この三度目の電話の声が母親が最後に聞く娘の声となった。

最後の電話から約30分後、通報を受けた警察とイゴールさんの兄弟は現地に到着。
彼等が目にした物は、イゴールさんを食べているヒグマの親子と、無残な姿で亡骸と化したオルガだった。
1001オススメ記事@\(^o^)/2016/07/10 00:09:00 ID:narusoku