72アスペニート2016/05/10(火)03:17:25.520ID:k20qLX/20.net
この時代のゲルマニア戦役あつい
73以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)03:22:05.622ID:8HKMEgPa0.net
中枢の避難地を叩くことに失敗したゲルマニクスは矛先を変えることにする
次の氷壁はIdistavisoの北 ウェーザー川沿いにあるアングリヴァリ族の避難地
そこはゲルマン世界では珍しく数キロにもわたる防壁が東西に続いていて谷間を封鎖していたところ

まさにゲルマン人にとっては難攻不落の存在であるものの
逆に城攻めもまた得意なローマ軍からすれば
神出鬼没なアルミニウス兵よりもそこから動かない「防壁」のほうがよっぽど攻めやすい思えたらしい
さらにIdistavisoの戦いでさすがのゲルマニクス軍も士気ががた落ちしたため
ゲルマニクスは軍を励ますためにもどうにか勝利を欲しがったという一面もある

そんでローマ軍は陣地をでて北へ
しかしその動きもまたアルミニウスに先読みされていた
74以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)03:22:30.323ID:8HKMEgPa0.net
×氷壁
○標的
76以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)03:33:03.456ID:8HKMEgPa0.net
毎度のごとくアルミニウスは見事にローマ軍の動きを予測して
アングリヴァリの防壁に兵を配置させ
さらにおなじみの伏兵も東の森に忍ばせていた
とはいえ状況はIdistaviso戦と同じくここも抜かれたらアウトといういまだ絶体絶命だった

防壁を攻めはじめたローマ軍とそれに奇襲をかける伏兵とでふたたび大乱闘
ここでも前回と同じように双方殺戮パーティ
しかしゲルマニクスもなかなか優秀で同じ失敗は二度は繰り返さなかった
ローマ軍はしっかりと陣形をしきなおして応戦し
そして今度は防壁が突破されアルミニウス隊もついに敗れ
ゲルマン側が総崩れになってしまう

ただしローマ軍もやっぱり被害は甚大で
防壁突破ではしゃぐことはなく
まるで敗北したかのようにゆっくりと防御陣地に撤退していったらしい
77以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)03:41:02.027ID:8HKMEgPa0.net
この時点でもうアルミニウス側は大規模な反撃は不可能になってしまい
いまローマ軍にIdistaviso方面に攻め込まれたら避難地が焼かれてしまうのは確実

しかしローマ軍側もあまりの損害の多さに作戦能力や士気が潰えてしまっていた
戦闘継続するといえば反乱が起こりかねないほどの状況だったので
ゲルマニクスもとうとう撤退を決断する

そうしてローマ軍は結果としては戦闘で勝ったにもかかわらずまるで敗残兵のように引き
アルミニウス軍は敵の撃退に成功したにもかかわらず損害が大きすぎて連合は分裂寸前という
双方にとって暗い終わり方となった
78アスペニート2016/05/10(火)03:42:16.659ID:k20qLX/20.net
消耗戦やな
79以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)03:44:13.121ID:h+N/7R3EK.net
ゲルマニア報復戦争記述の際には
タキトゥスのゲルマニクスに対する呼称が"カエサル"なんだよな
他の箇所ではほとんどゲルマニクス呼びで、ティベリウスもカエサルと呼ばれてないのに
このあたりの意図が気になる
83以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)04:08:49.167ID:8HKMEgPa0.net
>>79
アルミニウスとの戦いは全ローマの威信をかけた雪辱戦であるというタキトゥスの想いかなとか
そこからゲルマニア攻め=ローマの全威信を背負う=帝位に相応しいという隠喩かなとか
帝位後継者という意味だけじゃなく
「ユリウス・カエサルがはじめたゲルマニア攻勢を引きつぐ」という意味も重ねて
85以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)04:17:36.280ID:h+N/7R3EK.net
>>83
参考文献は岩波の同時代史?
岩波のは読んだことないから分からんが、
その辺りにある程度の注がないと非研究者はどうしようもないな
87以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)04:22:43.981ID:8HKMEgPa0.net
>>85
同時代史じゃなく年代記のほうじゃなかったっけ
たしか岩波版だったかと
88以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)04:28:14.219ID:h+N/7R3EK.net
>>87
失礼、年代記のほうだったな
どうも両者は混同する…
80以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)03:53:31.402ID:8HKMEgPa0.net
その後ローマ側では
ゲルマニクスがアルミニウスへの報復とゲルマニアの「奪還」を望んでいたものの
帝位についたティベリウスがゲルマニアの「放棄」を決定して「戦は正式な終わりを迎えることになる
プンプンしていたゲルマニクスは東方最高司令官の位であるシリア総督へと「栄転」させられた

一方のアルミニウスはなんとか体勢を建てなおすと
対ローマの協力を拒んだマルコマンニ族領へと報復侵攻を開始する
これは各部族へ「マルコマンニが協力しなかったからあんな泥沼の戦いになったんだぞ!」というアピールに加えて
個人的にも激怒していたからとも言われてる

そんな短絡的な理由があげられるのは
この後はまるで別人のようにグダグダになるから
対ローマ戦でみせたキッレキレっぷりが欠片もなくなってしまう
勇んでマルコマンニの本拠ボヘミアへと踏み込んだものの
そこは要害の地でアルミニウスは兵力も兵糧も作戦も圧倒的にたりず無残な失敗
ローマ軍で覚えたことを全部忘れて「蛮族」に戻ったかのように
81以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)04:01:58.972ID:8HKMEgPa0.net
そのようにして彼の武功も滞ったあたりで
ローマ軍人風の傲慢なふるまいや捨て駒戦術などで溜まってきていた反感もついに大爆発
今まで協力していた各部族がこぞって離反して
中にはローマと同盟を結んだり連合してアルミニウスを排除しようとしたりで
彼の勢力は一気に崩壊する
そうして同じゲルマン部族相手の戦いで負傷し
それが癒えずにAD21年ごろにあっけなく死んだといわれてる
84以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)04:17:00.099ID:8HKMEgPa0.net
こうした誰にとっても災難に思える戦役でもいくつかはやっぱ得をした勢力があった
それがマルコマンニ(とクアディ)

マルコマンニたちはこのアルミニウス戦争のあいだ
戦乱に加わりたくないという小部族たちをそれぞれ従属化にし
またローマ~アルミニウス陣営双方に情報を流し
時には裏交渉の仲介役などもおこない
その勢力を維持しつづけた

そしてかつてローマが予定していたマルコマンニ征服作戦もウヤムヤになり
戦後アルミニウスが倒れてからは
周辺部族たちをまとめローマとも莫大な交易を行なうようになり
西方ゲルマンでトップクラスの強部族となっていく
86アスペニート2016/05/10(火)04:19:53.280ID:k20qLX/20.net
みんな詳しいなぁ
89以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)04:36:48.712ID:8HKMEgPa0.net
そのあと半世紀ほどはローマとゲルマンの大規模衝突は起こらなくなる
(一応キウィリスの反乱がおこったものの)
ただしゲルマン世界は決して安泰とはいえず
むしろ着実に人口が増え部族間の緊張はじわじわと増しつづけていった

そして新たな流れがはじまる
まずはドイツ~ポーランドのバルト沿岸部から
ここはいわゆる気候変動の最前線なうえ
かつスカンディナヴィア圏からとも移住・略奪パラダイスでもっとも混迷した地域
そんな中で各部族たちが生き残るために合体し大部族を形成しはじめる
たとえばポーランド北部ではかのゴート族など
90以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)04:46:56.519ID:8HKMEgPa0.net
さらに1世紀後半からはこうした流れをローマ側が南から促進することにもなった
ドミティアヌス帝の時代になると
彼の命令によりライン沿いはいっせいに攻勢に転じ
カッティ族領などにローマ軍が略奪侵攻を敢行する
これはライン~ウェーザー一帯部族のガス抜き目的があったとされてる
いわゆる予防攻撃
ただしこのイジメがこの領域の大部族化を促進させることになる

さらにドミティアヌスはシュヴァルツヴァルト地域を一気にローマ領として
そこからゲルマン部族の追いだし作戦も敢行
これでゲルマン世界南部も混乱が高まったほか
難民ラッシュをうけた東隣のマルコマンニ族が激怒する
91以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)04:54:05.292ID:8HKMEgPa0.net
マルコマンニはすぐには動かなかった
まともにやりあえば勝ち目はないともわかっていたから

ただしAD86年からはじまったローマ対ダキアの戦争がその状況をかえる
ここでドミティアヌス帝が軍才がない者を最高指揮官にするという大ポカをする
結果的に親衛隊と軍団ひとつが丸ごと消滅するという大敗を喫してしまう
(ちなみにこの時きえた第5軍団も再編されることなく永久欠番となる)
93以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)04:59:31.741ID:8HKMEgPa0.net
そのあとドミティアヌスは反省して歴戦の将を任命し
ダキア戦線は持ちなおされ今度はダキア側をジワジワ追いこみ始める
でもそんないいところのAD88年で上ゲルマニアの総督が反乱を起こすという事件が発生
ローマはすぐにダキア側と講和を結ぶと(劣勢だったダキアはこの講和に大喜び)すぐに反乱鎮圧へ
ただしその反乱は勝手に自壊していてわざわざ兵を送り込むほどでもなかった
なんて胸をなでおろしていたらここでマルコマンニ(とクアディ)がいきなり動きだす
94以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)05:03:24.783ID:8HKMEgPa0.net
もともとダキア側から
マルコマンニとクアディは「ローマ潰そうぜ」と同盟の打診をうけていたものの
両部族はこれを拒絶していたらしい
というのも当時のダキアはデケバルス王のもと急速に拡大しつつあり
東ではパンノニア平原まで勢力圏を拡大してきていたから

このパンノニア平原には当時イロイロあってサルマタイ系イアジェゲス族が住んでいて
北方のクアディとすごく仲良しだった
そんでクアディはマルコマンニとすごく仲良しだったんで
この両部族はダキアに対して「同盟とかふざけんな死ね」と突き返していたらしい
96以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)05:08:49.244ID:8HKMEgPa0.net
そうした状況でなんでここで両部族が動きだしたかというと
まず東からゴリゴリしていたダキアが大人しくなったこと
そしてダキア戦序盤の負けっぷりや反乱騒動などでローマがグダっているように見えたため
それらに直前のシュヴァルツヴァルト併合騒動の怒りが加わったことらしい

そんでAD90年ごろ
マルコマンニ・クアディの戦士団がノリクムやパンノニアのローマ軍防衛線を強襲
一部では突破し近隣の集落も荒らしまわったりしちゃう
97以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)05:18:36.187ID:8HKMEgPa0.net
しかしやっぱりローマは強かったことにくわえ
運が悪いことにそのとき上ゲルマニア総督についていたのはあの若きトラヤヌスさん
前述の反乱のさいにいち早く駆けつけた彼はそのまま後任の総督となっていた
彼はすぐに軍団を出陣させると西からオラオラと圧力をかけ
マルコマンニに従属しているスエビ系の小部族たちを蹴散らしていく
この動きにマルコ・クアディ両部族ともすぐに襲撃をやめて撤退するものの
トラヤヌスの執拗な攻撃はAD96年ごろまで続いたとされている
これでさらにゲルマン世界にストレスが加わったのは言わずもがな

そしてこのトラヤヌスが帝位について
ローマ史上最大の対外侵攻「ダキア抹殺さくせん」を終わらせたころ
バルト沿岸部~ポーランドでは次の動きがはじまる
それは部族の大移動
99以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)05:25:19.126ID:8HKMEgPa0.net
混乱と密集に耐えかねてとうとう一斉に移動を開始
この辺からゴート族がわさわさと南下
すこし前に形成されたばかりの「ヴァンダル」という大集団も南下
中部ではスエビ系セムノネス族が南下をはじめたり(彼らはすこし後にアレマンニ族を形成する)
ただしのちのローマ世界を蹂躙した「ゲルマン民族大移動時代」とはことなり
このときの民族移動の向きはみんなローマを避けてる
というのもこの時代のローマはまだ困難な壁であり
むしろそのローマの圧力から逃げようとする向きもあったから
たとえばゴートもヴァンダルもまっすぐ南のローマ圏に進むのではなく
南東のウクライナ方面へと向いていたり
102以下、\(^o^)/でVIPがお送りします2016/05/10(火)05:35:53.119ID:8HKMEgPa0.net
とはいえ東ゲルマニアのゴート・ヴァンダルなどとはことなり
中部や西部ではほとんど逃げ場がない環境でますます「爆弾」状態になりつつあった
さらに緊張を加速させたのはまたもやローマとマルコマンニとクアディの御三方

ローマはAD90年代は彼らと戦ってたくせに
戦争が終わるやすぐに交易を開始しなんと大量の武具もガバガバ輸出しちゃう
そしてマンコ・クアディはそれを北のゲルマン世界にガバガバ輸出しはじめる
ローマ製のノリクム鋼を使った高品質武器はそりゃあもう大人気で
柄や鞘をゲルマン風に加工したグラディウスやスパタが
一触即発なゲルマン世界にどんどんと広がりだす
そんでとうぜんながら戦士階級の割合が飛躍的に増加してますます部族間闘争が激しくなる

そしてAD160年代
マルクス・アウレリウス帝の時代
パルティア遠征で持ち帰った疫病で
古参兵が大量死したこともあって一時的にローマの防衛体制が弱まったとき
古代ゲルマン史上最大の戦役が開幕する
1001オススメ記事@\(^o^)/2016/05/11 00:34:00 ID:narusoku